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売土地情報   エピソード6
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【 エピソード6 腫れものの大家さん 】

このお話しは、綿屋が駆け出しのころに遭った災難のお話しです。
とある賃貸マンションの契約が成立したので、土曜日の夕方に大家さんの自宅に契約書と契約金を持参しました。既に借主の署名捺印は済ませてあったので、あとは大家さんの署名捺印と契約金の支払いだけです。そして借主が入居するのは翌日の日曜日でした。
会社の上司から
「あの大家さんは“特殊な人”だから、気を付けるように」
と言われていたので、それまでの電話のやり取りでは、とにかく失礼のないように気を使っていました。会うのはこの日が初めてです、玄関のチャイムを押すときは、かなり緊張していました。予想していた通り、出てきた老年のご婦人は、ダッシュで逃げ出したくなるほど、気難しいオーラが全身から漂っていました。
『うわぁ〜、早く終わらせて帰りてぇ』
という思いを胸に、言われるまま敵地のような緊張した空間にお邪魔しました。




こちらの用件はハンコと領収書だけなのに、大家さんは勝手なことを言い始めました。
「本当は、借主の勤務先が気に入らないのよ、本来は断るような人種だけど、奥さんの勤務先が気に入ったから、入居を認めたのよ」
など、大家の立場をフルに活かした言動ばかりで、耳が腐るかと思いました。
今から20年以上前には、こんな大家が結構いたものです。延々と自慢話しを聞かされ、相槌を入れ続けて随分時間が経過し、ようやく本題に入りました。本題に入れば話しは早いはず。しかし、大家さんはお金を数えながら
「わたし、お金(紙幣)は顔が揃ってなきゃ、気に入らないのよ、今回は大丈夫ね」
と、またぞろ持論の展開です。もし紙幣が揃っていなかったら、どうなっていたのでしょう、考えたくもありません。




大家さんは自分の矜持や考え方などをクドクドと説きながら、本題は進んでいきました。その時、大家さんは不意に言いました。いよいよ事件の発生です。
「ところで、除湿機のリース料はどうなっているの?明細に書いてないけど」
「はっ? 除湿機ですか?」
「うちは鉄筋コンクリートだから湿気が多いのよ、だから私が除湿機を買って、各部屋に毎月1,000円で貸してあげているの、あなたの上司は知っていたはずよ」
綿屋は電話で賃料の詳細を再確認していました。仮に何度も仲介している大家さんであっても、改めて家賃・共益費・駐車料・町内会費・その他必要な費用を確認するのは、仲介業者の鉄則です。しかし、この大家さんは除湿機のことを電話で言わなかったのです。
綿屋は素直に謝りました。
「申し訳ございません、早速借主に事情を説明して、除湿機のリース料を頂いてきます」
「いいえ、その必要は無いわ、実はさっき借主が挨拶に来たのよ、あなたは電話で除湿気のことを聞かなかったから、あなたは知らないと思って、私から借主に説明しておいたわよ」
あの時、なぜ大家さんは除湿機のことを教えてくれなかったのだろう、と疑問に思いながら、問題が解決したかのように言われたので、綿屋は確認のためにこう聞きました。
「ありがとうございます、それでは、除湿機のリースについては大家さんから借主に説明して頂いて、私が徴収しなかったリース料については、大家さんが直接徴収されるのですね」
綿屋は大家さんの返事を待ちました。何が起こったのでしょう、突然大家さんが怒り狂いました。
「どうして私がお金の徴収をするの、それはあなたの仕事でしょ、この契約は止めます、あなたの態度が気に入らない、さっき借主が挨拶に来たけど、あの人達の入居は断ります、それはあなたのせいだから、あなたからあの人達に伝えなさい」
明日入居されるのに、今さら断れる訳がありません、ましてや、どういうわけか綿屋のせいになっています。そしてこれは、綿屋と大家さんの問題であって、借主には関係のないことです、賃貸借契約は諾成契約なので、既に大家さんと借主は合意しているから、契約は成立しています。契約書はお約束事項に過ぎませんから、契約書にハンコを押さないからと言って、契約が成立しないということにはなりません。だから大家さんが一方的に解約を主張すると、大家さんが契約違反となるのです。
しかし、この説明が耳に入るような人ではありません。困った綿屋は、何度も何度も謝りました、土下座もしました。しかし、何回床に頭を擦りつけても、大家さんは許してくれません。
「契約書とお金は受け取りません、さっさと帰りなさい」
の一点張りです。まるで腫れもの、これ以上触って腫れが大きくなっても困ります、綿屋はどうすることもできず、悄然として大家さん宅を辞去しました。







綿屋が駆け出しのころ、勤め先は日曜日と旗日だけが唯一の休日、盆と正月を入れても年間休日70余日の会社でした。翌日の早朝、少ない休日を返上して、魚津の自宅から大家さん宅まで約30q余りの道程を、話す言葉を頭の中で整理しながら、複雑な心境で車を走らせました。
あの後、会社に戻るととっぷりと日が暮れていて、帰社の遅い綿屋を上司が待っていました。そして上司に事の顛末を話して相談したところ、

「始まったか・・・、う〜ん、俺が行っても結果は変わらないだろう、とりあえずどうするつもりだい?、」
「明日の朝に、もう一度謝りに行ってみようと思います」
「それしかないだろうな、それでもダメなら、借主に事情を話すしかないだろう、その後は借主が大家さんに対してどう行動するかだな、会社としてはやるべきことをやっての結果だから、大家さんと借主の問題と言いたいところだけど、仲介業務は途中だから、コチラは知らんというわけにもいくまい、できることなら、争いは避けてもらいたいな。いやいや今考えても仕方ない、先ずは、明日の朝に大家さんのところへ行って来い」




昨日訪れた『敵地』に再び到着、無心に1回だけ玄関のチャイムを押したところ、間もなく大家さんが出てきました。綿屋は肩を狭くし、行き場のない困った人を演じて言いました。
「おはようございます、昨日は大変申し訳ございませんでした。」
「まあとにかくお入りなさい」
 昨日と打って変って、腫れものの腫れが引いたように穏やかな対応でした。綿屋は座敷に通され、改めて昨日のことを詫びました。そして大家さんから耳を疑うような言葉が発せられたのです。
「昨日わたしが言ったことは、すべてあなたのために言ったのよ。あなたには見どころがあると思ったから言ったの、普通の人だったら、昨日のことぐらいで怒ったりしないわよ、すべてあなたの為を思って言ったのよ」
 綿屋は脳髄の中で、何かが沸々と音を立てて煮えたぎっているのを全力で抑えて答えました。
「そうだったんですか、僕なんかのために、本当に有難うございます」
「思った通りだったわ、今朝きっとあなたが来ると思っていたの。あなたが今後この仕事をしていく上で、きっといい経験になったはず。今回のことを忘れずに、お仕事を頑張りなさい。さあ、契約の手続きを済ませましょう」
その後、再び大家さんは自慢話と持論を展開、更に綿屋への恩着せがましい説教が加わり、綿屋は計算された機械のように笑顔と相槌を繰り返しました。本来は休日である綿屋にこの後の予定はなかったので、とにかく自然に時間が流れて、自然に辞去することがベストだと考えていました。もちろん我慢しながら。
そして難は去った。




帰路の道中、公衆電話から上司に報告しました。上司は報告を聞き終えてこう言ったものです。
「災難だったな、綿屋君、あの人に気に入られたんだよ、まぁ、あんな人もいるってことで、いい勉強になったんじゃないの」
綿屋は帰路の道中ずっと考えました。自宅に帰りついた頃は、日も高くなっていました。そして結論をまとめました。
『おそらく、あの大家さんは暇だった、綿屋はそんな時に訪れたカモだった。そして若者を虐めたかった。さんざん虐めたのち、あろうことかその若者に“あのとき叱ってくれてありがとう”って感謝されたかった。』
まったく迷惑な話しです。綿屋には叱ってもらって感謝している人は大勢います。しかし、その人達とあの大家さんを、決して同じにすることはできません。やり場のない怒りが消え去るまで、どれくらいの時間がかかるだろうか。そして、ふと、以前に社長から言われたことを思い出しました。
『世の中には、無知な若造を優しく応援してくれる人種と、いたぶって楽しむ人種がいる。苦労してきた人は前者になるし、にわかに成り上がった人や、苦労していない人ほど後者になる。そして同業者や取引先はもちろん、お客さんも、みんなお前を見てる、いつか必ず厄介な後者にぶち当たるから、その前に知恵と貫禄を身につけて、人になめられないように努力しろ』
綿屋は思いました。

『あれは厄介な後者だったんだ』




今から20数年前の、綿屋が20歳そこそこの駆け出し時代の話しです。今でもその時に出した結論は変わりません。
あの大家さんが生存しているのなら、イジメを正当化して、『昔、1人の若者に教え諭して良いことをした』と自己暗示をかけている可能性があります。他界されていれば、それを胸に秘めて天に召されたかもしれません。
今思い出しても感謝のカケラもありません。

おしまい。




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